Japanese Jail

日本時代の刑務所

「ミステリーにつつまれた建物」

N15  ̊11’58.759” E145  ̊43’9.304

この刑務所は1929年から1930年にかけて、日本の行政府の命により建てられた。それ以前は、ドイツ行政期間中に立てられた小さな留置所に囚人は収容されていたが、1920年代後半になり、人口の急激な増加からくる要求にこたえるには不十分となった。二棟の獄舎そして隣接の事務所の壁はコンクリートで、屋根は木造トタン葺き。最初のころの刑務所は、材木とトタン製の防護塀でかこまれていた。後になり、戦争の開始後ではないかと思われるが、塀の一部はコンクリート製となった。刑務所のすぐ南側には本願寺があり、ここには付属の火葬場と墓地があった。お寺のコンクリート製の門柱の一本が現存。第二次大戦中、米軍のパイロット二名がこの刑務所に収容されていた。侵攻前の爆撃でこの二名は死亡し本願寺墓地に仮葬された。通説では、有名な米国の飛行士アメリア・イアハートは彼女の1937年の世界一周飛行中に行方不明となったがこの刑務所に収監されていたとされる、しかしこれを証明する決定的な証拠はない。