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Administration Hill

行政府の丘

「ドイツそして日本の行政府の所在地」

N15  ̊12’9.549 E145  ̊43’6.011

クリスト・ライ・カトリック教会のすぐ裏側の低い丘、現在は静かな住宅地だが、ドイツそして日本の植民地行政期間中は重要な役割をはたした。1900年初頭、ドイツの地区行政官ゲオルグ・フリッツは、この地に堂々とした二階建ての行政府建物を建てた。丘のふもとにフリッツはラッテ・ストーンをあしらった擁壁を構築したが、これは波止場から眺めるとあたかも行政府建物を支えているかのように見えた。この建物は1905年の台風で破壊され、その跡地には学校が建てられた。日本が1914年10月に島を占拠した直後の台風でこの学校は損壊。1920年代初頭、元のドイツ学校の建物は改修され南洋庁サイパン支庁事務所へと。第二次大戦中に破壊されるまで、ここがサイパンにおける日本の行政府の正式な所在地だった。