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German Steps

ドイツ時代の階段

「この島の有史時代中最古の残存構造物」

N15 ̊E145

1904年、ドイツの地区行政官ゲオルグ・フリッツは、現在は砂糖王公園の一部となっている石灰岩の小さな丘のふもとに和風の住居を建てた。次にコンクリート製の階段を設け、これによりこの彼の家の裏側から丘の頂上へ行けるようにとした。そしてそこにフリッツはフラッグタワーを建設し、手旗信号により、ガラパン村のすぐの西側のリーフの外に停泊中の来島の船舶との交信に使用した。村そして西側沿岸の全景が極めてよく望めるので、このフラッグタワーは、監視所として役立った。1914年日本による島の占拠に引き続き、日本海軍はこの階段を使い、丘の頂上に建てられた小さな神社、香取神社への登り道とした。この丘を日本人は香取山と命名。この階段の一部は残存しており丘の東側部分に見受けられるかもしれません。階段の東側部分へ行こうとするには十分な注意が必要。というのは丘のふもとは第二次大戦中に採石がおこなわれその結果として10メートル以上の崖が生じているから。この階段は、サイパン島における有史時代中最古の残存構造物。